ご挨拶
『注文を受けたらその日のうちに現場に届ける!』
『現場の職人さんを手待ちにさせない!』
先代から今も受け継がれている高尾材木店の誇り。
簡単に出来るようでなかなか難しい。
その日のうちに届けるには先ず多種多量な在庫。
在庫を持つにはそれなりの敷地に大きく作業効率の良い倉庫、品質を落とさない為の適切な乾燥と保管と設備。
そして何より大切なのは緻密な段取りと迅速丁寧に運ぶ弊社社員の配送能力です。
1948年の創業以来75年の歴史を積み重ねる事が出来たのは、在庫リスクを恐れず、現場第一主義でコツコツ取り組んできた結果だと思います。
近年、コロナ、ウッドショック、ウクライナ侵攻など住宅業界にも多大な影響がありましたが、どんな時でも安定した材料供給を行う事が我々のミッションだと考えています。
規模の小さな会社ではありますが、少数精鋭・スピード重視で現場に愛される企業でありたいと思います。
その為の努力を惜しむことなく社員一同取り組んで行きます。
今後とも皆様の変わらぬご支援をお願い申し上げます。
有限会社高尾材木店
代表取締役社長 高尾 修治
P.S
今回のホームページ制作は20代の若手メンバーに任せてみました。新しい取り組みとして弊社オリジナル商品をネット販売していきます。そちらの方も是非ご覧ください。
企業理念
運ぶ力で商品価値を高め住まいづくりに貢献する企業を目指す。
品質はもちろんですが、配送能力も現場にとっては大切な事だと思います。
現場がスムーズに進行し、職人さんを手待ちにさせない事、商品を丁寧かつ迅速に
納材する事は、他の販売店が取り扱う同じ商材であったとしても、弊社が運ぶことで、
より一層商品価値を高める事になると考えます。
また時代変化を的確に捉え、ニーズに合った商品の提案と安定供給できる豊富な在庫を武器に、
工務店様・エンドユーザー様の住まいづくりに貢献する企業を目指します。
会社ヒストリー
創業者である高尾修(祖父)は川西航空機で戦闘機の設計をしていました。
戦後地元に戻り都心部で就職しようと思っていたそうですが、長男だった事から地元に残ることを選択、近所にある製材所に勤める事になりました。
ところが、勤務先の製材所が店を閉める事になります。
(昭和23年6月の事です)そこで売れ残りの材料を分けてもらい、自分で商いを始めることになります。
当時トラックは無く、道路も整備されていない状況の中、運搬方法は大八車や人の手によるものでした。
瓦などの資材は、鉄道で運ばれてきたものを1枚1枚駅ホームに手で降ろし、それを又倉庫まで持ち帰っていたそうですから、かなり大変な重労働だったとおもいます。
自宅兼事務所の狭い場所で倉庫も小さく、配送方法も限られている中、知恵を絞り徐々に商材を増やし、倉庫を増やし、人を増やし基盤をつくっていった創業者である祖父は堅実で計算のできる人でした。
昭和59年、二代目、高尾敏雄(現会長)代表就任時
有限会社高尾材木店が設立されます。
行動力のあった父は次々と仕入れルートを広げていきます。
吉野や大阪、津山、後に土佐や九州にまで仕入れに奔走します。
当時この辺りに無い商品を集める事が出来た事が、当時の高尾材木店の大きな成長要因になっていると思います。
まだ高速道路もまちまちな中、仕事終わりに出かけて行き、道中車の中で仮眠をとり、次の日の朝から競りに参加していた会長はエネルギーの塊みたいな人でした。現在もそうですが…(笑)
そうこうしてるうちに商いも大きくなり、倉庫の小ささに限界を感じた父は、少しづつ土地を買い足し倉庫を建てていきます。
当時規模を大きくすることに反対だった祖父とこのままではダメだと思っていた父との殴り合いの喧嘩(殴っていたのは祖父だけでしたが)をみる事が何度かありました。
今振り返ってみると父(現会長)の判断は的確であり、事業を拡大していく上でとても大きな決断だったとおもいます。
超がつくほどのトップダウンな人ですが、信頼と実績を積み上げた頼りになる経営者でした。
平成20年4月 三代目、高尾修治が代表取締役社長に就任します。
弟である専務取締役・高尾大吉 常務・中川直樹を中心に頼りになる中堅メンバー、元気のある若手メンバーと共に変化に柔軟に対応できる企業を目指して現在奮闘中です!
この先の歴史はもう少し先に進んでから…。
木の話
秋田県立大学木材高度加工研究所教授の林知行さんの興味深い話を少しアレンジして紹介したいと思います。
科学的な話でありながらも突き詰めていくと哲学的、宗教的な話になりますが巨樹巨木になぜ生命力を感じるのか、
なぜ鉄筋コンクリート製のお寺や神社にありがたみを感じにくいのか、なぜ国産材の方が親しみを感じやすいのか、
そんな疑問の答えがわかる気分にさせてくれる話です。
【人が死んだらどうなるのか】
「1人の人間の体内には膨大な数の炭素原子が存在しています。
人が死んで火葬されると、体内の炭素原子が二酸化炭素となって空中に拡散します。
この炭素【人】が地球上にくまなく拡散したとすると、その密度は驚くなかれ、1リットルあたり約8万8000個になるそうです。
このことから考えて、既に亡くなられたあなたのお父さんやお母さんの体の一部であった炭素も、
数は減っているにしても今まさにあなたの周辺に何十、何百個も存在しているはずです。
炭素【人】は死んで空中に飛散し、それが光合成によって植物に吸収されます。
つまり、炭素【人】は炭素【植物】に生まれ変わるのです。
もちろん、炭素【穀物】のように動物に食べられる事によって炭素【動物】に生まれ変わるものもあります。
また、炭素【草食動物】が炭素【肉食動物】に変わることもあります。
さらに、炭素【木材】のように長期間固定された後に元の循環の輪に戻っていくものもあります。
私の祖父であり高尾材木店 創業者である高尾修は2011年11月28日に亡くなりました。
祖父の遺体は翌々日、琴浦町の斎場で火葬されました。
祖父の体を構成していた炭素【祖父】は、火葬されている間に空気中に拡散されたはずです。
そのうちのどれくらいが植物や水などに吸収・吸着されたのか不明ですが、
いまから数えて12年前のあちこちの樹の年輪のなかには、祖父の炭素が吸収されて、【祖父】まさにその年輪の中に存在している……。
このことは私に限った話ではなく親族を亡くされている皆さんすべてにあてはまる話です。
今我々が取り扱っている材木の中、あなたがお住まいの家の柱には、ご先祖様が存在しているのです。
木に惹かれる理由。
暖か味や、安心を感じるのはそういう事ではないでしょうか(笑)。
高尾材木店 コーポレートロゴ
樹の年輪の造形に『木・鳥』の組み合わせをモチーフに、全体のフォルムで
「信頼感・安心感」「丁寧・的確」「上昇・成長」をイメージし、
常にプロフェッショナルなサービス・高いクオリティを提供する拡がりをデザインしています。
沿革 ー会社の成り立ちー
設立 | 昭和59年4月6日 |
創業 | 昭和23年6月 |
会社概要
社名 | 有限会社高尾材木店 |
事業所 | ・本社 〒689-2541 鳥取県東伯郡琴浦町八幡708 ・北栄事務所 〒689-2201 鳥取県東伯郡北栄町西園487 ・赤碕倉庫 〒689-2501 鳥取県東伯郡琴浦町赤碕1109 ・中山作業場 〒689-3114 鳥取県西伯郡大山町田中字一本松163-3 |
TEL | 0858-55-0610 |
FAX | 0858-55-1611 |
資本金 | 9,000,000円 |
代表者 | 代表取締役社長 高尾 修治 |
役員 | 代表取締役会長 高尾敏雄 代表取締役社長 高尾修治 専務取締役 高尾大吉 |
従業員 | 27名(男性21名・女性6名) ※令和5年2月1日現在(役員含む) |
決算 | 年1回 3月 |
売上高 | 1,780,000,000円(令和3年度) |
取引銀行 | 山陰合同銀行 |
技術者 | 二級建築士 1名 移動式クレーン 10名 玉掛作業者 11名 フォークリフト 5名 気密測定技能者 2名 建築物石綿含有建材調査者 1名 |
機材・車両 | 1.5tトラック 4台 2.0tトラック 5台 3.0tトラック 1台 4.0tユニック 1台 フォークリフト 7台 |
営業種目 | 木材・新建材・住設機器・銘木・アルミサッシ・瓦 サイディング工事・木工事・軽天工事 |
建設業許可 | 鳥取県知事許可(般ー29)第7242号 建築・大工・屋根・タイルれんがブロック・板金・内装仕上げ工事業 |